【廃止競馬場の記憶】宇都宮競馬場:「ミスター・ピンク」が躍動した北関東の雄と、総合スポーツゾーンへの新生

栃木県宇都宮市西川田に存在し、北関東における地方競馬の中心的役割を担っていた「宇都宮競馬場」。名物騎手の活躍や、地元密着のダート重賞で熱狂を生んだこの競馬場は、なぜ廃止の道を辿ったのでしょうか。栃木県競馬組合の記録や地方競馬全国協会(NAR)の公式資料に基づき、宇都宮競馬場の歴史からコースの特徴、苦渋の廃止決断、そして現在の大規模なスポーツパークへの転生までを詳しく解説します。
目次
Toggle宇都宮競馬場の基本情報
| 項目 | 詳細情報 |
| 所在地(廃止時) | 栃木県宇都宮市西川田4丁目 |
| 開場年 | 1933年(昭和8年) |
| 廃止年 | 2005年(平成17年)3月14日(最終開催) |
| 開催競技 | 地方競馬(平地競走) |
| 主催者 | 栃木県競馬組合(栃木県、宇都宮市、足利市) |
歴史と沿革:軍馬育成から北関東の中核へ
宇都宮における競馬の歴史は古く、1933年(昭和8年)に産馬奨励および軍馬育成を目的として西川田の地に開設されたのが始まりです。戦後、1948年(昭和23年)の新競馬法制定に伴い、栃木県営競馬として公営競技の歩みをスタートさせました。
その後、足利市と共同で「栃木県競馬組合」を設立。さらに群馬県の高崎競馬場と連携した「北関東公営競馬」のネットワークを構築し、相互に人馬が交流する活発な競馬開催が行われました。高度経済成長期には、地域のレジャー施設として、また県や市の財政を支える重要な資金源として大きく貢献しました。特に年末年始やお盆の開催時には、スタンドに入りきれないほどの観客が詰めかけ、場内は熱気に包まれていました。
コースと施設の特徴:「ミスター・ピンク」と名馬たちの舞台
宇都宮競馬場のコースは、1周1200メートル、幅員20メートルの右回りダート(砂)コースでした。
最後の直線は約200メートルと短く、3コーナーから4コーナーにかけてスパイラルカーブが採用されていたため、騎手のコース取りや仕掛けのタイミングが勝敗を大きく左右する、スリリングなレース展開が特徴でした。
この競馬場を語る上で欠かせないのが、「ミスター・ピンク」の愛称で全国的な人気を誇った内田利雄(うちだ としお)騎手の存在です。鮮やかなピンク色の勝負服を身にまとい、宇都宮を拠点に驚異的なペースで勝ち星を量産した彼は、地方競馬の枠を超えたスターでした。また、競走馬では「ベラミロード」や「ブライアンズロマン」といった、中央競馬や他地区の強豪を相手に堂々たる戦いを繰り広げた名馬たちを輩出し、北関東のレベルの高さを全国に証明しました。
廃止への経緯:北関東競馬ドミノ倒しの終着点
しかし、1990年代後半からの長引く不況と、娯楽の多様化、他公営競技との競合により、売上は年々減少の一途を辿ります。栃木県競馬組合の累積赤字は膨らみ続け、経営健全化計画が幾度となく策定されました。2003年に足利競馬場、2004年に高崎競馬場が相次いで廃止(北関東競馬のドミノ倒し)される中、宇都宮競馬場は北関東最後の砦として存続を模索しました。
しかし、単独開催による経営好転の兆しは見えず、当時の福田富一栃木県知事は「これ以上の県民負担は限界である」として、2005年(平成17年)度末での廃止を決定しました。
2005年3月14日、最終日に行われた記念重賞「とちぎ大賞典」には、別れを惜しむ大勢のファンが詰めかけました。レース後には所属騎手たちが馬場に整列してファンに感謝の意を述べ、70年以上にわたる歴史に幕を下ろしました。
跡地の現在:国体を彩った「カンセキスタジアムとちぎ」への転生
廃止後、広大な競馬場跡地(約36ヘクタール)の活用方法は長らく県の課題となっていましたが、隣接する栃木県総合運動公園と一体化させた「総合スポーツゾーン」として大規模な再開発が行われることになりました。
長年の工事を経て、かつての馬場やスタンドがあった場所には、現在、約3万1000人を収容できる陸上競技場兼サッカー場「カンセキスタジアムとちぎ」がそびえ立っています。このスタジアムは、2022年(令和4年)に開催された「いちご一会とちぎ国体・とちぎ大会」のメイン会場として使用され、現在はプロサッカークラブ・栃木SCのホームスタジアムとしても熱戦が繰り広げられています。
砂埃にまみれて馬が走った跡地は、最新鋭の設備を誇る県民のスポーツ拠点へと見事な転生を遂げ、新たな歓声と感動を生み出し続けています。
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