【廃止競馬場の記憶】益田競馬場:フルゲート8頭!日本一小さな競馬場が遺した「益田魂」と、福祉・観光へ繋がる馬の記憶

島根県西部の石見地方に位置し、日本海と高津川の豊かな自然に囲まれた益田市。この街にはかつて、日本の公営競馬において「日本一小さな競馬場」として全国にその名を轟かせた「益田(ますだ)競馬場」が存在していました。独自のタイトな環境から多くの活躍馬を輩出し、情熱的なレースを展開したこの競馬場は、なぜ2002年に早くも姿を消したのでしょうか。公式な歴史資料や最新の跡地利用状況に基づき、その激動の歩みと、現在も地域に形を変えて残る「馬の記憶」を紐解きます。
目次
Toggle益田競馬場の基本情報
| 項目 | 詳細情報 |
| 所在地(廃止時) | 島根県益田市高津町 |
| 開場年 | 1947年(昭和22年) |
| 廃止年 | 2002年(平成14年)8月16日(最終開催) |
| 開催されていた競技 | 地方競馬(平地競走:ダートのみ) |
| 主催者 | 益田市 |
歴史と沿革:地方都市の情熱が作った「極小の競馬場」
益田における競馬のルーツは、戦後間もない1947年(昭和22年)、島根県馬匹組合連合会の主催によって高津町の地に開設された地方競馬に始まります。1948年の新競馬法制定に伴い、島根県や周辺自治体による共催体制を経て、最終的には益田市が単独で主催する「市営競馬」としての運営基盤が確立されました。
益田競馬場は、広島の福山競馬場などと同様に「アングロアラブ系競走馬」の専門競馬場として特化する道を選びました。地理的に他地域からのサラブレッドの調達が難しかったこともありますが、頑健なアラブ馬によるレースは地元住民の気質にも合い、長く石見地方を代表する最大のエンターテインメントとして定着しました。最盛期には、小さなスタンドを埋め尽くすほどの観客が詰めかけ、手作業による着順掲示板(数字の書かれたボードを人が手で掲げる)などの素朴な運営スタイルも相まって、独特のノスタルジーと熱気が同居していました。
コースの特徴:日本一小さな「1周1000m・直線200m」 唯一無二のフルゲート8頭
益田競馬場を唯一無二の存在にしていたのが、そのコーススケールです。
- 1周距離: 1000メートル(ダートコース、右回り)
- 最後の直線: 約200メートル
1周1000メートルというサイズは、日本の平地公営競馬の歴史において「国内最小」の記録です。直線はわずか200mしかなく、外枠の馬や後ろから行く馬には壊滅的に不利な構造でした。
その小さなコース形状も相まって、フルゲート(出走可能頭数)は驚異の8頭。そのせいもあり、地方競馬としては最後まで「6枠制」を維持していたことでも知られています。
また有名なのが、日本競馬界におけるレジェンド女性騎手、吉岡牧子(よしおか まきこ)騎手の存在です。彼女は益田競馬場を拠点に、地方競馬通算350勝という当時の女性騎手国内最多勝利記録を樹立。全国に多くのファンを生み出しました。
競走馬でも、250戦出走で有名となったウズシオタローや、のちに「アラブのメッカ」と呼ばれる園田競馬場に移籍し、重賞を6勝した「益田の怪物」二ホンカイユーノスなど、ユニークな名馬を輩出しました。
廃止への経緯:平成不況と早すぎた撤退、そして場外の終焉
しかし、1990年代に入ると、地方の小規模競馬場を直撃する厳しい現実が押し寄せます。益田市のような人口規模の小さい地方都市において、本場への入場者数減少と馬券売上の低迷は致命傷となりました。インターネット投票の普及を待たずして財政赤字は膨らみ続け、益田市議会でも競馬事業の存続を疑問視する声が強まりました。
起死回生を狙い、廃止のわずか3年前には新しい事務所ビルや特別観覧席などの施設改善を断行したものの、売上減少に歯止めはかかりませんでした。当時の益田市長は「これ以上の赤字は市政運営の根幹を揺るがす」と断腸の思いで事業撤退を決断。2002年(平成14年)8月16日の開催を最後にレースはすべて終了し、21世紀の地方競馬廃止ドミノの真っただ中で姿を消しました。
本場開催の廃止後、施設の一部は「大井競馬益田場外発売所(東京シティ競馬益田場外)」として長らく勝馬投票券の発売を続けていましたが、時代の変化に伴い、これも2024年(令和6年)1月をもって完全廃止・閉鎖となり、競馬関連の窓口は完全に消滅しました。
跡地の現在:技術校、給食センター、そして「さんさん牧場」への継承
廃止から20年以上が経過した現在、競馬場の敷地は益田市の都市インフラとして完全に再編されています。
かつてのメインスタンドやパドックの跡地には、職業訓練施設である「島根県立西部高等技術校」の近代的な校舎が建ち並び、正面の直線走路や内馬場があった場所には「高津学校給食センター」や一般の住宅街、小さな児童公園が整備されています。かつて「日本一小さな競馬場」があったことを示す遺構は、周辺の道路のわずかな湾曲を除いて、ほとんど残っていません。
しかし、益田競馬場の「馬の記憶」は、意外な形で現在も地域に生き続けています。かつて益田競馬場の厩舎や、1982年の島根国体時に馬術会場として使われた敷地(馬事公苑跡地)は、現在、社会医療法人が運営する就労支援事業所兼観光牧場「さんさん牧場」として生まれ変わっています。
驚くべきことに、この牧場の施設長を務めるのは、元益田競馬場の厩務員だった大賀みつなり氏です。さんさん牧場では、引退した中央・地方の競走馬を受け入れ、障害者の方々のA型就労支援(農福連携)や、ホースセラピー、地域住民の観光拠点として大成功を収めています。
日本一小さな競馬場が遺した馬への愛と情熱は、形を変え、今も益田の地で人々の心を癒やし、社会に貢献し続けるという、素晴らしい未来へと繋がっています。
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