千葉県船橋市浜町にかつて存在し、「オートレース発祥の地」として全国のモーターファンから愛された船橋オートレース場。1950年の開設から65年以上にわたり、日本のモータースポーツ史において重要な役割を果たしてきましたが、売上減少や施設の老朽化などを理由に2016年をもって惜しまれつつ廃止されました。

本記事では、船橋オートレース場の基本情報から、栄光の歴史、廃止に至った背景、感動に包まれたラストレース、そして大規模再開発によって生まれ変わった跡地の現在まで、事実関係に基づき詳しく解説します。

1. 船橋オートレース場の基本情報

まずは、船橋オートレース場の概要と基本データを確認しましょう。

  • 所在地:千葉県船橋市浜町2丁目4-1(※現存せず)
  • 開設日:1950年(昭和25年)10月29日
  • 移転日:1968年(昭和43年)1月11日(船橋競馬場内から専用施設へ移転)
  • 閉場日:2016年(平成28年)3月21日(本場最終開催)/ 2016年3月31日(正式廃止)
  • 施行者:千葉県・船橋市
  • 施設・土地所有:株式会社よみうりランド(施設所有)、三井不動産株式会社(土地所有)
  • 主な特徴:日本で最初のオートレースが開催された「オートレース発祥の地」。所属選手は「船橋軍団」と呼ばれ、全国屈指の強豪揃いとして名を馳せた。

2. 「オートレース発祥の地」としての歩み

競馬場の内馬場からスタートした歴史

日本のオートレース競技は、1950年(昭和25年)の小型自動車競走法公布に伴い幕を開けました。その記念すべき第1回大会が開催されたのが船橋です。当初は専用の競技場を建設する資金や広大な用地の確保が難しかったため、同年6月に完成していた「船橋競馬場」のダートコースの内側に走路を設ける形でスタートしました。1950年10月29日の初開催日には、約3万4千人もの大観衆が詰めかけたと記録されています。

専用走路への移転と「船橋軍団」の躍進

その後、四輪車レースの開催などを経て、1968年(昭和43年)には競馬場の隣接地(浜町2丁目)に専用のオートレース場が完成し移転しました。船橋オートレース場は、全国のレース場の中でもトップクラスの走路環境を持ち、ここを拠点とする選手たちは非常に高い技術を誇りました。彼らはファンや関係者から「船橋軍団」と称され、全国の重賞レースを席巻し、カリスマ的な人気を集めることになります。

3. 廃止に至った背景と苦渋の決断

輝かしい歴史を持つ船橋オートですが、時代とともに経営環境は厳しさを増していきました。

売上の激減と構造的な赤字

公営競技全体の売上はバブル崩壊後の1990年代初頭をピークに減少に転じます。千葉県側の資料によれば、船橋オートの売上は平成2年度(1990年度)に約744億円(千葉県施行分)のピークを記録しましたが、その後はレジャーの多様化や長引く不況の影響で長期低落傾向に陥りました。閉鎖が本格的に議論され始めた2013年度頃には、ピーク時の10分の1強にあたる約100億円程度にまで落ち込んでいました。

莫大な施設賃貸料の負担

売上減少に加え、船橋オート特有の構造的な問題もありました。他の多くの公営競技場が自治体の公有地に建設されているのに対し、船橋オートレース場は土地を三井不動産、施設をよみうりランドが所有する民有地・民有施設でした。そのため、年間数億円規模と言われる高額な施設賃貸料が施行者(千葉県・船橋市)の大きな経営負担となっており、単年度収支の赤字が恒常化していました。

これらの理由から、2014年(平成26年)8月12日、千葉県と船橋市は「平成27年度末(2016年3月)をもって船橋オートレース場を廃止する」と正式に発表しました。選手やファンからは存続を求める大規模な署名活動や船橋市議会への陳情が行われましたが、決定が覆ることはありませんでした。

4. 1万3千人が涙したラストレースと閉場式

2016年(平成28年)3月21日、ついに船橋オート本場開催の最終日を迎えました。この日は特別開催「共同通信社杯プレミアムカップ(GI)」の優勝戦が組まれ、場内には約1万3千人ものファンが詰めかけました。

最後のレースを見事制したのは、他ならぬ地元・船橋所属のエース、永井大介選手でした。劇的な勝利に場内は割れんばかりの歓声に包まれました。 しかし、全レース終了後に行われた閉場式(セレモニー)では空気が一変します。施行者である自治体関係者がマイクを握り閉場の挨拶を始めると、愛するレース場を奪われたファンから地鳴りのような怒号とブーイングが飛び交いました。この光景は、船橋オートがどれほど地元ファンから熱狂的に愛されていたかを物語る、強烈な歴史的シーンとして今も語り継がれています。

こうして66年間の長きにわたる歴史は幕を閉じました。所属していた「船橋軍団」の選手たちは、川口や伊勢崎など全国の他レース場へ移籍し、現在もその技術とDNAを受け継ぎ第一線で活躍しています。

5. 跡地の現在:巨大物流施設と新たな街づくり

閉場後、船橋オートレース場の広大な跡地は大きく姿を変えました。

場外車券売場の併設(サテライト船橋)

本場の機能は失われましたが、オートレースの火を完全に消さないため、隣接する船橋競馬場の駐車場敷地内に場外車券売場「サテライト船橋(競輪)/オートレースふなばし」が2016年4月に開設され、現在も全国のレースの車券を購入することが可能です。

三井不動産による大規模再開発(MFLP船橋)

レース場の広大な施設は解体され、土地所有者である三井不動産によって大規模な物流・商業拠点へと生まれ変わりました。 跡地一帯は「三井不動産ロジスティクスパーク船橋(MFLP船橋)」として段階的に開発が進められ、2021年(令和3年)6月には跡地計画の第3弾となる業界最大級の最新鋭物流倉庫「MFLP船橋Ⅲ」が竣工しました。

さらにこの再開発は単なる物流倉庫にとどまらず、地域住民との共生をテーマにした「街づくり型物流施設」として設計されています。敷地内には以下のような施設が整備され、市民の新たな憩いの場となっています。

  • MFLP船橋・&PARK:約2万平方メートルの広大な緑地空間。
  • ふなっしーパーク:2021年7月にオープンした、船橋市のご当地キャラクター「ふなっしー」の遊具や像が設置された児童向け公園。
  • 三井不動産アイスパーク船橋:国際基準の通年営業アイススケートリンク(2020年12月開業)。

かつて爆音が鳴り響き、ファンが熱い声援を送ったオートレースの聖地は、現在では最新の物流インフラと、子供たちの笑顔があふれる緑豊かな都市空間へと見事に変貌を遂げています。

まとめ:色褪せない「オート発祥の地」の記憶

船橋オートレース場は物理的には姿を消してしまいましたが、日本のモータースポーツ黎明期を支え、数々の名勝負と名レーサーを生み出した功績が消えることはありません。「オートレース発祥の地」の記憶は、移籍先で走り続ける選手たちの姿や、跡地に整備された新しい街の歴史の底に、確かなレガシーとして今も刻まれています。

 

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