群馬県高崎市岩押町、JR高崎駅のすぐ東側という抜群の市街地立地に存在した「高崎競馬場」。大正時代から続く長い歴史を持ち、北関東公営競馬の重要な一角を担ったこの場所は、どのような栄枯盛衰を辿り、現在どうなっているのでしょうか。群馬県議会の記録や当時の報道資料などの一次情報に基づき、高崎競馬場の歩みと大晦日の劇的な終焉、そして現在の姿を詳細に紐解きます。

高崎競馬場の基本情報

項目詳細情報
所在地(廃止時)群馬県高崎市岩押町12-16
開場年1924年(大正13年)
廃止年2004年(平成16年)12月31日(最終開催)
開催競技地方競馬(平地競走)
主催者群馬県

歴史と沿革:大正時代に産声を上げた織物産業の街の娯楽

高崎における競馬の歴史は非常に古く、1924年(大正13年)に群馬県畜産組合連合会によって開設されたのが始まりです。群馬県は古くから養蚕や絹織物産業が盛んであり、産業振興とともに発達した交通網の要衝である高崎に、娯楽と馬匹改良を兼ねた競馬場が作られたのは自然な流れでした。

戦後の1948年(昭和23年)、群馬県営競馬として公営競技としての開催がスタートします。宇都宮、足利とともに「北関東公営競馬」を形成し、互いに競走馬や騎手が行き来する活発なブロック開催が行われました。高度経済成長期からバブル期にかけては、群馬県民の身近なレジャーとして定着し、県財政に多額の収益金をもたらしました。

コースの特徴と個性豊かな人馬たち

高崎競馬場のコースは、1周1200メートル、幅員20メートルの右回りダートコースでした。

地方競馬としては比較的標準的なサイズでしたが、最後の直線が約300メートルと、宇都宮(約200m)や足利(約237m)に比べて長く確保されていたのが大きな特徴です。このため、先行馬だけでなく、後方からの「差し」や「追い込み」も決まりやすく、実力が反映されやすいフェアなコースとしてファンから高く評価されていました。

また、高崎競馬場は個性的な人材の宝庫でもありました。特に注目を集めたのは、女性騎手として数々の記録を打ち立てた赤見千尋(あかみ ちひろ)騎手です(現在は競馬評論家として活躍)。彼女の活躍は、男性中心だった地方競馬界に新しい風を吹き込み、多くの競馬ファンを現地に呼び込む原動力となりました。

廃止への経緯:突然の通告と大晦日の悲しい結末

1990年代末に入ると、地方競馬全体を覆う不況の波が高崎にも容赦なく押し寄せます。売上の急減により、群馬県の競馬事業は数十億円規模の累積赤字を抱える事態となりました。

県は民間企業への運営委託などを模索しましたが、最終的に小寺弘之知事(当時)は「これ以上の存続は県財政に重大な影響を及ぼす」として、2004年度末での廃止を決定しました。この決定は現場の関係者にとっても急なものであり、ファンや騎手会による存続運動も行われましたが、覆ることはありませんでした。

迎えた2004年(平成16年)12月31日。高崎競馬場の最終開催日は大晦日に行われました。しかし、メインレースの「高崎大賞典」を迎える前に降雪が酷くなり、8レースをもって開催中止となりました。奇しくも、最後のレースを勝利で飾ったのは前述の赤見千尋騎手でした。

跡地の現在:群馬の新たな顔「Gメッセ群馬」の誕生

廃止後、施設の一部は地方競馬の場外馬券発売所「BAOO高崎(後にJ-PLACE高崎)」として活用されていましたが、広大な敷地全体の再開発は群馬県の長年の懸案でした。高崎駅から徒歩圏内という一等地に約10ヘクタールもの土地が残されたからです。

長年にわたる議論と計画の末、場外馬券発売所も移転され、跡地には群馬県が威信をかけて建設した巨大なコンベンションセンター「Gメッセ群馬(群馬コンベンションセンター)」が2020年(令和2年)にオープンしました。

最大1万人を収容できる巨大な展示ホールや国際会議場を備え、現在では大規模なアーティストのコンサートや産業展示会、学会などが頻繁に開催されています。かつて砂塵が舞った競馬場は、群馬県のビジネスとエンターテインメントの新たな発信拠点として、完全に新しい歴史を歩み始めています。

 

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