広大な越後平野の一角、新潟市笹山地区(旧豊栄市)に位置する新潟競馬場。現在でも日本中央競馬会(JRA)の主要4場に次ぐモダンなスタジアムとして知られていますが、かつてこの場所では、全国の競馬ファンを熱狂させたもう一つの戦いが繰り広げられていました。それが、新潟県や周辺自治体で構成される「新潟県競馬組合」が主催していた地方競馬(新潟県競馬)の定期開催です。

本記事では、中央競馬としての側面には一切触れず、あくまで「地方競馬の舞台としての新潟競馬場」にスポットを当てます。公式な沿革記録や当時のコース仕様に基づき、地方競馬としては破格のスケールを誇ったダートコースの真の姿、JRA施設を間借りする形で運営されていた地方競馬独自の歴史、そして2002年の突然の終焉までを詳しく解説します。

新潟競馬場(地方競馬部分)の基本情報

  • 所在地(地方競馬開催時): 新潟県新潟市笹山(旧豊栄市)
  • 地方競馬としての運用開始: 1965年(昭和40年) ※関屋地区からの移転に伴う共同利用開始
  • 地方競馬としての廃止年: 2002年(平成14年)1月4日(最終開催に伴う撤退)
  • 開催されていた競技: 地方競馬(平地競走:ダートコースのみ)
  • 主催者: 新潟県競馬組合(新潟県、新潟市、三条市、旧豊栄市による一部事務組合)

歴史と沿革:関屋からの移転と、画期的な「共同利用システム」の誕生

新潟県における地方競馬の戦後の歩みは、新潟市内の関屋地区(現在の関屋分水路周辺)にあった旧競馬場から始まりました。しかし、周辺の急速な都市化や河川改修計画(関屋分水路の掘削工事)に伴い、1965年(昭和40年)、現在の笹山地区へと全面移転することとなりました。

この移転に際し、主催者である新潟県競馬組合は、敷地および施設を所有する中央競馬の組織と緊密な「共同利用契約」を締結しました。地方競馬の組合が、国の一大組織が管理する最高峰の近代的な競馬場施設を年間で一定期間「間借り」して開催するという、日本の公営競技界における極めて画期的かつ合理的な運用システムがここに誕生したのです。

1970年代から1980年代の黄金期、新潟県競馬は「三条競馬場」との2場開催システムによって大いなる全盛期を迎えます。春や秋を中心とした地方競馬の開催日には、最先端の巨大スタンドに地元の熱心なファンが詰めかけ、新潟の冬の寒さを吹き飛ばすような熱いヤジと歓声が飛び交っていました。

コースの特徴:地方競馬の常識を覆す、東日本屈指の広大な「本格派ダート」

新潟競馬場には美しい芝コースが常設されていましたが、新潟県競馬(地方競馬)の開催においては、「ダート(砂)コースのみ」が使用され、地方競馬の所属馬が芝を走ることは一切ありませんでした。しかし、このダートコースこそが、全国の他の地方競馬場を圧倒する最大の武器でした。

多くの地方競馬場(三条競馬場や上山競馬場など)が1周1000メートル前後、最後の直線が200メートル未満という「超小回り・先行絶対有利」の構造をしていたのに対し、新潟競馬場のダートコースは、地方競馬としては規格外のスケールを誇っていたのです。

2001年7月以前(リニューアル前)の仕様

  • 周回: 右回りダートコース
  • 1周距離: 1,463メートル
  • 幅員: 20メートル
  • 最後の直線: 327メートル

1周約1.55キロメートル、直線327メートルという広大さは、地方競馬の中では大井競馬場などに匹敵する東日本屈指のサイズでした。これにより、小回り特有の「内枠・先行馬だけの立ち回り勝負」にならず、能力のある馬が外から豪快に差し切るという、馬本来の実力とスタミナがストレートに反映されるフェアなレースが展開されました。新潟県競馬の最高峰の重賞であった「新潟グランプリ(ファン投票競走、ダート2280m)」や、地方全国交流のダートグレード競走(GIII)に昇格した「朱鷺(とき)大賞典(ダート1800m)」などは、この広大なダートコースをフルに活かした名勝負として今も語り継がれています。

2001年7月以降(リニューアル後)の仕様

さらに2001年7月、全面的なリニューアルに合わせ、コースはそれまでの右回りから「左回り」へと劇的な大改修が行われました。

  • 周回: 左回りダートコース
  • 1周距離: 1,472メートル
  • 最後の直線: 354メートル

この改修により、ダートの直線は354メートルにまで延伸。これは日本の地方競馬において、盛岡競馬場(400m)、大井競馬場外回り(385m)に次ぐ、国内第3位の長さを誇る超ロング直線となりました。

廃止への経緯:大改修の悲劇と豪雪がもたらした唐突な幕切れ

しかし、1990年代後半からのバブル崩壊に端を発する急激な景気後退は、新潟県競馬の財政を致命的に蝕んでいきました。他地域のインターネット投票の普及や娯楽の多様化により、本場への入場者数と売上はピーク時の半分以下にまで激減したのです。

特に組合にとって致命傷となったのが、1999年から2001年にかけて実施された、まさにこの新潟競馬場の大規模リニューアル工事でした。改修工事期間中、新潟競馬場での地方競馬開催が長期間にわたって完全に不可能となり、全日程を施設が手狭でインフラが脆弱な三条競馬場へ振り替えざるを得なくなりました。この代替開催が狙い通りの売上を上げられず、逆に開催経費が膨らんだため、新潟県競馬組合の累積赤字は約66億円にまで急膨張してしまいました。

2001年(平成13年)11月、主催者である組合の管理者(新潟県知事)は、これ以上の赤字拡大は自治体財政を破綻させるとして、2001年度(2002年3月)限りでの組合解散と、地方競馬事業からの完全撤退を正式に表明しました。

皮肉なことに、2001年7月に完成したばかりの「左回り・超ロング直線」を誇る新ダートコースは、新潟県競馬としては2001年秋からのわずか数日間しか使用されませんでした。そして運命の2002年(平成14年)1月4日、新潟を襲った激しい豪雪により、馬場コンディションが致命的に悪化。安全なレース続行が不可能と判断され、その日の第3レースをもって「残りの全日程を打ち切り、そのまま廃止撤退」という、あまりにも唐突で寂しい幕切れを迎えることとなったのです。

地方競馬施設としての現在:消え去った「厩舎街」の面影

新潟競馬場というハードウェア自体は、現在も所有者によって大規模なリニューアルやメンテナンスが続けられており、日本屈指の美しさを誇るモダンな競馬場として稼働し続けています。しかし、そこから「地方競馬」の息吹は完全に消え去りました。

地方競馬の全面廃止に伴い、競馬場のバックヤード(主に敷地の南東側や周辺部)に広がっていた、地方競馬専用の広大な「厩舎街(きゅうしゃがい)」や、多くの調教師・厩務員・騎手たちが寝食を共にした居住エリア、さらには新潟県競馬組合の管理事務所などは、数年をかけてすべて解体され、完全に更地化されました。

現在、それらの跡地は主に来場者用の広大なアスファルト駐車場や、施設の維持管理用のスペースへと転用されており、かつて何百頭もの地方の叩き上げの競走馬たちが日々汗を流し、明日の勝利を夢見て調教に励んでいた名残を見つけることは不可能です。

しかし、JRAの最高峰の施設を借り受け、地方競馬としては破格の1周1400メートル超の本格派ダートコースで、人馬が文字通り泥塗れになって知略と体力を競い合った「新潟県競馬」の誇りと栄光は、今も日本の公営競技史の極めてユニークな、そして輝かしい1ページとして厳然と刻まれています。

 

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