なぜイタリア競馬は衰退したのか?|リボーを生んだ競馬大国がG1を失うまで

かつてイタリアは、英国・フランスと並ぶ欧州競馬の重要国だった。近代競馬の発展は19世紀に本格化し、1881年にはジョッキークラブ・イタリアーノが設立。1884年にはローマのカパネッレ競馬場で第1回デルビー・イタリアーノが行われた。20世紀に入ると、名生産者・調教師フェデリコ・テシオがイタリア競馬を世界的な地位へ押し上げる。テシオが生産したネアルコは大種牡馬として世界中のサラブレッド血統に影響を与え、その血を引くリボーは16戦無敗、凱旋門賞連覇という偉業を達成した。1908年にはイタリア人フェデリコ・テシオ以前の名馬主フェデリコ・ジニストレッリが生産・所有・調教したシニョリネッタが英国のダービーとオークスを連勝するなど、イタリアは競走馬生産でも世界屈指の存在だった。
しかし現在、イタリアのサラブレッド競馬は往時の面影を大きく失っている。2006年には国内に9つものG1競走が存在したが、2019年にリディアテシオ賞がG2へ降格したことでG1はゼロとなった。2026年にはドルメーロ賞、リディアテシオ賞、ローマ賞までもがG2からG3へ格下げされている。なぜ、これほどの競馬大国が衰退したのだろうか。
目次
Toggle最大の原因は「馬券頼み」の収益構造
イタリア競馬の最大の弱点は、競馬産業を支える収入の大部分を馬券に依存していたことにある。入場料やスポンサー収入、放映権収入だけでは競馬を維持できず、馬券売上から競馬界へ還元される資金が賞金、競馬場運営、生産者支援などを支えていた。
かつてイタリアで合法的に賭けを楽しむ選択肢は競馬や繋駕速歩競走が中心だった。しかし2000年前後からスポーツベッティングが拡大し、さらにスロットマシン、宝くじ、オンラインギャンブルなどが急成長する。娯楽としての「賭け」の選択肢が急激に増えた結果、競馬は市場を奪われていった。
2011年の競馬・トロットを合わせた馬券売上は約14億ユーロで、わずか4年前のほぼ半分まで落ち込んだとされる。一方でサッカーなど他のスポーツベッティングは成長し、競馬だけが旧来型の収益モデルに取り残された。
高い控除率が客離れを加速させた
さらに問題だったのが馬券の控除率である。イタリア競馬では一部の馬券で、サッカーなど他のスポーツベッティングよりはるかに高い控除が行われていた。
簡単にいえば、同じ100ユーロを賭けるなら競馬よりサッカーの方が購入者へ戻る金額が大きい状況だった。これでは、純粋な競馬ファン以外のギャンブル客がより条件の良い商品へ流れるのは自然だった。
店舗網を拡大して馬券を買いやすくする政策も取られたが、「買える場所」を増やしても商品そのものの還元率で劣れば売上は戻らない。馬券売上減少によって競馬への分配金が減り、賞金を削減せざるを得なくなり、それがさらに競馬の魅力を低下させる悪循環に陥った。
2012年前後に資金繰りが破綻
決定的だったのが2010年代前半の財政危機である。欧州債務危機の影響を受けたイタリア政府が緊縮財政を進める中、競馬への公的資金も縮小した。
競馬を統括していたUNIREはASSIへ改組された後、最終的に廃止され、農業省が直接管理する体制へ移行する。しかし、この再編の過程で賞金支払いが深刻に滞った。2012年末には資金不足を理由に賞金や競馬場への支払いが停止し、翌年以降まで未払い金が残る異常事態となった。
競走に勝っても賞金が1年以上支払われないケースまで発生したことで、馬主や調教師にとってイタリアで競走馬を所有する経済的リスクが急上昇した。
有力馬・馬主・生産者が国外へ流出
賞金額が低下し、しかも支払いまで遅れるなら、能力の高い馬をイタリアに置いておく理由は薄くなる。英国、フランス、ドイツなどへ移籍すれば、より高額な賞金を安定して受け取れるためである。
実際、イタリアの有力厩舎から海外へ売却される馬が増え、生産者も規模を縮小した。2005年には年間約5,900競走が行われていたが、2013年には3,269競走まで減少。生産頭数も2005年の2,184頭から2013年には850頭まで落ち込んだ。その後も回復せず、2023年の報告頭数は686頭にとどまっている。
馬が減る→レースの質が落ちる→海外馬が来なくなる→重賞のレーティングが下がる→格付けが下がる、という第二の悪循環が発生した。
G1消滅は「原因」ではなく衰退の結果
デルビー・イタリアーノは2009年、オークス・ディタリアは2007年にG1から降格。2019年には最後まで残っていたリディアテシオ賞もG2となり、イタリアからG1競走が完全に消滅した。
これは単に欧州競馬の政治力で格下げされたわけではない。国際的な重賞格付けは出走馬のレーティングによって維持されるため、有力馬が集まらなくなれば格を維持できない。賞金・馬産・馬主・競走馬の減少が長期間続いた末に、国際的な競走品質にも数字として現れた結果である。
2026年にはローマ賞など主要競走がさらにG3へ降格しており、現在も完全に底を打ったとは言い難い。
「国営競馬」に近すぎる運営体制も弱点
もう一つ大きいのが運営構造である。英国やフランスでは競馬界の専門組織が一定の自主性を持って運営するのに対し、イタリアでは農業省が競馬行政と公的資金を直接管理している。
予算、賞金、開催日程、競馬場への補助などに行政手続きが深く関わるため、市場環境の変化へ迅速に対応しにくい。競馬関係者からも長年、「競馬を知る専門組織による運営が必要」と指摘されてきた。
ローマの名門カパネッレ競馬場も近年、運営契約や施設維持をめぐって閉鎖危機が繰り返されており、競馬場そのものの経営基盤も安定しているとは言えない。
イタリア競馬は復活できるのか
現在は再建への動きも始まっている。2023年以降、政府は競馬産業の構造改革を進め、馬券に対する税負担の見直し、賞金増額、競走数の適正化、競馬場評価制度の導入、アンチドーピング強化などを実施している。イタリア国内で購入する1歳馬への付加価値税も22%から5%へ引き下げられた。
長年問題だった賞金支払いも以前より短縮されつつあり、海外向け映像配信や「Grande Ippica Italiana」ブランドによる情報発信も強化されている。
ただ、失われた馬産基盤やG1競走を取り戻すには時間がかかる。イタリア競馬の衰退は一つの失政で突然起きたのではない。競馬への馬券依存、他ギャンブルへの顧客流出、高い控除率、行政主導の硬直した運営、賞金遅配、有力馬と生産者の国外流出が連鎖し、数十年かけて競馬の競争力そのものを削っていったのである。
リボーやネアルコを生み、世界のサラブレッド血統に巨大な影響を残した国だけに、今後の改革によって再び欧州競馬の主要国へ戻れるかは、世界の競馬界にとっても注目すべきテーマとなっている。
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