熊本県荒尾市。かつて三池炭鉱の企業城下町として栄えたこの街の海岸沿いに、全国でも屈指の美しい景観を誇った「荒尾(あらお)競馬場」が存在していました。佐賀・中津とともに「九州競馬」の一角を担い、個性豊かな人馬が躍動したこの競馬場は、なぜ80年以上の歴史に幕を下ろしたのでしょうか。公式な記録や荒尾市の跡地再開発計画に基づき、有明海に抱かれた競馬場の歴史から、現在進行形で進む大規模なスマートシティ化までを詳しく紐解きます。

荒尾競馬場の基本情報

項目詳細情報
所在地(廃止時)熊本県荒尾市宮内出目(みやうちでめ)73
開場年1928年(昭和3年)
廃止年2011年(平成23年)12月23日(最終開催)
開催されていた競技地方競馬(平地競走:ダートのみ)
主催者荒尾市(荒尾市競馬組合から単独開催へ移行)

歴史と沿革:炭鉱の街の娯楽から「九州競馬」の連携へ

荒尾競馬の歴史は、1928年(昭和3年)に現在の場所へ競馬場が移転・開設されたことに始まります。荒尾市は隣接する福岡県大牟田市とともに「三池炭鉱」の恩恵を受けて発展した街であり、過酷な労働に従事する炭鉱労働者や地域住民にとって、荒尾競馬場は最大の娯楽施設でした。

戦後の1948年(昭和23年)に公営競馬として再スタートを切ると、佐賀競馬場(佐賀県)、中津競馬場(大分県)とともに「九州地方競馬連絡協議会」を構成し、相互に競走馬や騎手が行き来する活発なブロック開催が行われました。九州産馬の保護と育成という重要な役割も担っており、「霧島賞」をはじめとする九州産馬限定レースは、地元生産者とファンが一体となって盛り上がる荒尾の名物イベントでした。

コースと施設の特徴:海風が彩った絶景の馬場

荒尾競馬場を語る上で絶対に外せないのが、その類まれなるロケーションです。

コースは1周1200メートル、直線220メートルの右回りダートコースでしたが、バックストレート(向正面)のすぐ奥には有明海が広がり、晴れた日には対岸に長崎県の雲仙普賢岳をくっきりと望むことができました。海風が吹き抜ける開放的な空間で繰り広げられるレースは、全国の競馬場の中でもトップクラスの景観美を誇っていました。

廃止への経緯:炭鉱閉山の影響と抗えなかった経営難

しかし、1997年の三池炭鉱の完全閉山に伴う地域経済の深刻な地盤沈下は、荒尾競馬の売上に直結しました。バブル崩壊後の不況も重なり、累積赤字は年々膨張。佐賀競馬との連携強化や、インターネット投票の導入、ナイター設備なしでの薄暮開催(有明夕焼けレース)など、様々な経営健全化策が打たれましたが、抜本的な収支改善には至りませんでした。

2011年(平成23年)、当時の前畑淳治荒尾市長は「これ以上の事業継続は市民生活に多大な影響を及ぼす」として、年内での競馬事業廃止を正式に表明しました。

2011年12月23日、寒空の下で開催された最終日。メインレース「肥後の国グランプリ」と、閉場セレモニーには、別れを惜しむ全国の競馬ファンが詰めかけました。関係者の涙とともに、83年にわたる荒尾競馬の歴史は静かに有明海へと還っていきました。

跡地の現在:医療と健康の「あらお海陽スマートタウン」への転生

廃止後、施設の一部は地方競馬場外発売所「BAOO荒尾」としてスタンドを残したまま稼働していましたが、巨大な敷地(約20ヘクタール)の本格的な再開発が始動します。

荒尾市は跡地を「あらお海陽スマートタウン」と名付け、地域医療と健康づくりの一大拠点へと生まれ変わらせる壮大なプロジェクトを推進しました。

現在、かつての馬場やスタンドがあった敷地の大半は整備され、2022年(令和4年)に老朽化していた「荒尾市民病院」がこの跡地に新築移転・開院しました。最新の医療設備を備えたこの巨大な病院を中心に、周辺には防災公園(海陽セントラルパーク)や保健・福祉施設、商業エリアが一体的に整備されつつあります。

BAOO荒尾も敷地内のコンパクトな新施設へ移転し、旧巨大スタンドは解体されました。かつてサラブレッドたちが潮風を受けて疾走した広大なダートコースは、今、次世代の荒尾市民の命と健康を守る最先端のウェルネス拠点として、確かな息吹を上げています。

 

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