【廃止競馬場の記憶】三条競馬場:信濃川の河川敷に存在した「日本一小さな地方競馬」の足跡

新潟県の中心部に位置し、金物・燕三条ブランドで世界的に知られる三条市。この街にはかつて、全国の地方競馬場の中でも極めて特異な構造を持ち、地域住民の熱烈な支持を集めた「三条競馬場」がありました。信濃川の広大な景観を背景に戦われたレースの記憶、そして新潟県競馬の終焉とともに訪れた廃止の歴史を、公式記録などの一次資料に依拠して詳細に紐解きます。
三条競馬場の基本情報
- 所在地(廃止時): 新潟県三条市上須頃(かみすごろ)
- 開場年: 1928年(昭和3年) ※1950年(昭和25年)に現在地の河川敷へ移転
- 廃止年: 2001年(平成13年)8月16日(最終開催)、2002年3月に正式廃止
- 開催されていた競技: 地方競馬(平地競走)
- 主催者: 新潟県競馬組合(新潟県、新潟市、三条市、旧豊栄市による一部事務組合)
歴史と沿革:職人の街を熱狂させた地方競馬の両輪
三条における競馬は、大正から昭和初期にかけて農耕馬の品評会や草競馬が発展したことに始まります。1928年(昭和3年)に常設の競馬場が設置され、公営競技としての基盤が作られました。その後、信濃川の改修工事等に伴い、1950年(昭和25年)に現在の信濃川と五十嵐川が合流する一角の河川敷(上須頃地区)へと移転新設されました。
戦後は、新潟県、新潟市、三条市、豊栄市(現新潟市北区)で構成される「新潟県競馬組合」が主催者となり、新潟競馬場(地方開催時)と三条競馬場を巡回・交互開催するスケジュールが組まれました。三条競馬は特に「春・秋の農閑期」や「夏の一時期」に開催され、近隣の金物工場の職人や農業従事者にとって、日々の過酷な労働を癒やす最大の娯楽として定着していったのです。
コースと施設の特徴:河川敷に作られた驚異の超小回りコース
三条競馬場を語る上で欠かせないのが、そのあまりにもユニークな立地とコース構造です。 最大の特徴は、「メインスタンドとパドック以外の施設(コースや厩舎など)の大部分が、信濃川の河川敷(国有地)に設置されていた」という点です。
そのため、コース規模は日本の公営競馬において最小クラスでした。
- 1周距離: 1000メートル(ダートコース、右回り)
- 最後の直線: 約195メートル
1周わずか1000メートルで、直線は200メートル未満。4つのコーナーは円というよりも急カーブに近く、競走馬がトップスピードで回るには限界に近いタイトさでした。このため「極端な内枠・先行有利」のバイアスが発生し、外枠の馬や差し馬は絶望的な戦いを強いられました。落馬や故障のリスクを避けるため、手綱を握る騎手たちには一瞬の油断も許されない、極めてスリリングでタイトなレースが展開されていました。 また、河川敷という立地上、大雨による信濃川の増水時にはコースが水没するリスクを常に抱えており、自然と背中合わせの競馬場でもありました。
廃止への経緯:他会場の改修の煽りと累積赤字の暴発
平成に入ると、バブル崩壊後の急激な景気後退により、新潟県競馬全体の売上がピーク時の半分以下へと激減します。 特に三条競馬場に致命的な打撃を与えたのが、1999年(平成11年)に実施された、もう一つの開催地である新潟競馬場の大規模な全面改修工事でした。この改修期間中、新潟競馬場での地方競馬開催ができなくなったため、組合は開催日程の多くを三条競馬場へ振り替えざるを得なくなりました。
しかし、施設が手狭で電話投票や広域発売のインフラが脆弱だった三条競馬場での単独長期開催は、狙い通りの売上を上げられず、逆に莫大な開催経費がかさんで組合の赤字を致命的に膨らませる結果となりました。
新潟県競馬組合の累積赤字は約66億円に達し、これ以上の存続は構成自治体の財政を著しく損なうと判断されました。2001年(平成13年)11月、当時の平山征夫新潟県知事が「新潟県競馬の全面廃止」を正式発表。これに先立つ2001年8月16日の開催を最後に三条競馬場でのレースはすべて終了し、翌2002年3月の組合解散をもって、名実ともに廃止となりました。
跡地の現在:防災拠点、水辺のレジャー、そして基幹病院への大転換
廃止から20年以上が経過した現在、三条競馬場の跡地は、国の河川整備事業および三条市の都市計画によって劇的な変貌を遂げています。
河川敷にあったコース跡地は、国交省と三条市が一体となって整備した「ミズベリング三条」(水辺のアウトドア空間・バーベキュー広場)として市民に開放されています。かつての3〜4コーナーから向正面にかけてのコースの形状をなぞるように舗装道路が敷かれており、一部は「三条乗馬クラブ」の練習場として、今も馬が走る姿を見ることができます。
一方、陸地側にあったスタンドの跡地には、2011年に災害時の救振・物資拠点となる総合防災施設「三条防災ステーション」(道の駅 燕三条地場産センターのサテライト機能も内包)が建設されました。さらにその隣接地には、県央地域の医療再編の核として2024年に開院した超大型の救急医療機関「済生会新潟県央基幹病院」がそびえ立っています。
現地を走る県道には、今でも「競馬場前」というバス停が当時のまま残されており、新潟駅へと結ぶ高速バスが発着しています。姿形は医療と防災の拠点へと変わりましたが、地域の人々が集う中心地としての役割は、今も形を変えて受け継がれています。
★おすすめ★ オートレースくじ「当たるんです」
「当たるんです」は当選確率1/64~1/4096で《最大143万円》が当たる!公営競技(オートレース)をロトくじ感覚で楽しめるサービス!事前知識は一切不要!
- 【廃止競馬場の記憶】中津競馬場:全国を震撼させた「突然の廃止劇」と、「大貞総合運動公園」への再生
- 【廃止競馬場の記憶】荒尾競馬場:有明海と雲仙普賢岳を望んだ絶景の舞台、そして次世代ウェルネス拠点への新生
- 【廃止競馬場の記憶】益田競馬場:フルゲート8頭!日本一小さな競馬場が遺した「益田魂」と、福祉・観光へ繋がる馬の記憶
- 【廃止競馬場の記憶】福山競馬場:日本最後のアラブの聖地、その栄枯盛衰と「エフピコアリーナふくやま」への転生
- 【廃止競馬場の記憶】足利競馬場:渡良瀬川の河川敷に存在した「日本最小クラス」のタイトなコースと、映像の街への変貌と今後の展望













.jpg)