【廃止競馬場の記憶】北見競馬場:道東の馬事文化を支えた「ばんえい専用競馬場」の歴史

広大なオホーツク地域の中心都市・北見市。ここにはかつて、世界でも類を見ない「ばんえい競馬専用」の競馬場として知られた「北見競馬場」が存在していました。平地競走からばんえい競走への完全移行、そして4市共同開催からの離脱という激動の歴史を歩んだ北見競馬場の姿を、当時の公式資料や記録に基づいて詳細に振り返ります。
目次
Toggle北見競馬場の基本情報
- 所在地(廃止時): 北海道北見市若松町
- 開場年: 1953年(市営競馬発足時)、1974年(若松町への移転)
- 廃止年: 2006年(場外発売所としては2009年まで稼働)
- 開催されていた競技: ばんえい競馬(初期にはホッカイドウ競馬の平地競走も開催)
歴史と沿革:平地競走の衰退とばんえいへの特化
北見市における競馬の歴史は、戦後間もない時期にさかのぼります。当初、北見競馬場は市内の東陵町(現在の東陵公園周辺)に位置しており、1948年(昭和23年)からは道営競馬(平地競走)が開催されていました。さらに1951年(昭和26年)からはばんえい競走の開催もスタートし、1953年の「市営競馬」発足に伴い、公営競技としての基盤を確立します。
しかし、道東という地理的条件もあり、次第にサラブレッドなどの軽種馬(平地競走用の馬)を集めることが困難になっていきました。当時の記録(NAR資料)によれば、1950年代後半には著しい出走馬不足に陥り、1957年(昭和32年)の北見平地競馬では、レース編成を満たすために1日のプログラムの中にばんえい競走を2レース組み込むという、特例的な「混成競走」が行われるほどの苦境でした。結果として、北見での平地競走は廃止され、道営競馬も1965年に撤退。以降、北見競馬場は重種馬がソリを引く「ばんえい競走」のみを開催する独自の道を歩み始めました。
移転とばんえい専用競馬場の誕生
施設の老朽化と市街地の発展に伴い、1974年(昭和49年)には郊外の若松町へと大規模な移転新築が行われました。この新競馬場は、平地用の巨大な周回コースを持たない、直線200メートルのセパレートコースを主体とした「ばんえい競馬専用施設」として設計されました。
コースには大小2つの坂(障害)が設けられ、農繁期を終えた農耕馬たちが力強さを競う姿は、オホーツクの開拓の歴史を象徴するエンターテインメントとして地元住民から深く愛されました。馬主協会の記録によると、北見競馬場では特殊なキザミ蹄鉄の使用が許可されるなど、コースや気候の特性に合わせた独自のルール運用が行われていた時期もありました。
廃止の経緯と場外発売所への転換
しかし、1990年代後半から続く売上減少の波には抗えず、北海道市営競馬組合の累積赤字が限界に達します。2006年(平成18年)11月27日、ついに北見競馬場での最後のばんえい競馬が開催され、半世紀以上にわたる北見でのレース開催に終止符が打たれました。
本場開催が休止となった後も、施設はホッカイドウ競馬や新生ばんえい競馬(帯広単独開催)の場外馬券発売所として利用されていました。しかし、2009年(平成21年)6月に新たな場外発売所「ミントスポット北見」が市内に新設されたことに伴い、旧競馬場施設での馬券発売も完全に終了しました。
跡地の現在:学術研究施設への変貌
現在、北見競馬場の跡地はきれいに整備され、かつてのスタンドや厩舎などの施設は全て解体されています。広大な跡地の利用については長らく検討が重ねられましたが、現在は教育・研究施設や市のインフラ施設として有効活用されています。
敷地の一部は、地元である北見工業大学が北見市から借り受ける形で「オホーツク地域創生研究パーク」および「地域と歩む防災研究センター」を開設し、寒冷地における防災や地域創生の最先端の研究拠点として機能しています。また、別の一角は下水汚泥の堆肥化施設としても活用されています。 重種馬たちが砂塵を巻き上げて鉄のソリを曳いた熱戦の舞台は跡形もなくなりましたが、その広大な土地は今、オホーツク地域の未来を切り拓くための新たなインフラとして地域社会に貢献し続けています。
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