かつて北海道旭川市に存在し、ホッカイドウ競馬(平地競走)とばんえい競馬の両方を開催していた「旭川競馬場」。地元ファンからはもちろん、全国の競馬ファンからも愛されたこの競馬場は、どのような歴史を歩み、なぜ姿を消したのでしょうか。本記事では、公式な沿革記録や歴史資料に基づき、旭川競馬場の成り立ちから廃止の経緯、そして現在の跡地の様子までを詳しく解説します。

旭川競馬場の基本情報

  • 所在地(廃止時): 北海道旭川市神居町雨紛(かむいちょううぶん)
  • 開場年: 1911年(前身)、1974年(現在地への移転)
  • 廃止年: 2008年(ばんえい競馬は2006年に撤退)
  • 開催されていた競技: ホッカイドウ競馬(平地競走)、ばんえい競馬
  • 施設所有者: JA上川生産農業協同組合連合会(上川生産連)

波乱万丈の歴史と沿革

旭川競馬場の歴史は古く、一次資料を紐解くと1911年(明治44年)に皇太子(後の大正天皇)の台覧に供するために開設された競馬場がそのルーツであると伝えられています。当時は花咲町(現在の花咲スポーツ公園周辺)に位置していました。

戦後、1947年(昭和22年)の新競馬法制定に伴い、公営競技としての開催が正式にスタートします。北海道における馬匹の改良や、戦後の食糧難解消に向けた農耕馬の生産奨励という国策的な側面も強く、1953年(昭和28年)には旭川・帯広・北見・岩見沢の4市による「市営競馬(ばんえい競馬)」が発足しました。

施設の老朽化と市街地化の波を受け、1974年(昭和49年)には旭川市郊外の神居町雨紛へと移転新築されました。ここは小高い丘の上にスタンドと馬場、厩舎が広がる広大な敷地を有しており、以降約30年間にわたり道北エリアの競馬の拠点となりました。

コースと施設の特徴:旭川ナイトレースの熱狂

旭川競馬場の最大の特徴は、平地競走とばんえい競走の両方を開催できるハイブリッドな施設構造にありました。平地用コースの内側にばんえい用の直線200mコースが設けられており、季節や日程によって全く異なる性質のレースが楽しめるという、世界的に見ても極めて稀有な競馬場でした。

特筆すべきは、1994年(平成6年)に日本で2番目(地方競馬としては大井競馬場に次ぐ)となるナイター競走「旭川ナイトレース」を導入したことです。涼しい北海道の夜風を浴びながら観戦できるナイター競馬は瞬く間に人気を集め、ホッカイドウ競馬の売上を大きく牽引しました。夏にはダートグレード戦線の大一番「ブリーダーズゴールドカップ(JpnⅡ)」、秋には2歳牝馬の重賞である「エーデルワイス賞(JpnIII)」が開催され、中央競馬との交流戦として全国的な注目を集めました。

廃止への経緯と撤退

しかし、2000年代に入ると地方競馬全体を覆う深刻な馬券売上低迷の波が旭川にも押し寄せます。特にばんえい競馬の赤字は深刻化し、2006年(平成18年)度をもって旭川・北見・岩見沢の3市がばんえい競馬の開催から撤退(北海道市営競馬組合の解散)。帯広市の単独開催へ移行したため、旭川でのばんえい競馬は姿を消しました。

残されたホッカイドウ競馬も経営健全化のために開催地の集約(門別競馬場への一本化)を決定。2008年(平成20年)10月16日の開催(第11回エーデルワイス賞)を最後に、旭川競馬場での全レースが終了し、60年以上にわたる公営競馬の歴史に完全に幕を下ろしました。

跡地の現在:テストコースへの転生

廃止後、施設は所有者であるJA上川生産連から売却・賃貸され、大規模な解体工事が行われました。広大な敷地と起伏のある地形が自動車部品メーカーの目に留まり、現在は「横浜ゴム(YOKOHAMA)」の北海道タイヤテストセンター(冬用タイヤ等の性能評価施設)として生まれ変わっています。

上空からの写真やGoogleマップ等を確認すると、かつての右回り周回コースの1・2コーナーの半円状の跡や、コースに沿って植えられていた防風林の木々が黒い点線のように残っているのが確認できます。ただし、現在は企業の厳重な研究施設となっているため、部外者が立ち入って当時の名残を見学することはできません。競馬場の喧騒は消え去りましたが、広大な土地は今も日本の自動車産業を支える重要な拠点として息づいています。

 

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